江津湖のリリース禁止条例(案)に対する私的な思い〜その3

江津湖のリリース禁止条例(案)に対抗する手段は、現時点ではパブリックコメントの送付のみだ。
「お願いですっ!バスが可哀想だからリリ禁しないでください!駆除しないでください!(´;ω;`)ブワッ」
 
では、素案に書かれた問題点に対抗するには、あまりに直情的で、あまりに稚拙だ。
(ただ、個人的にはバス釣りが大好きな子どもがこう訴えてくれるのが一番うれしいし、こういう子のためにこそ頑張りたい)


さて、パブリックコメントを書くにあたって、論点の整理をしたい。
その1」「その2」は、なんだかんだ言っても、バサーとしての視点である。
私だってバサーのはしくれだ。

ホントは直情的な思いが大半を占める。
「お願いですっ!バスが可哀想だからリリ禁しないでください!駆除しないでください!(´;ω;`)ブワッ」で通るなら、それで送る。いや送りたい。
 

とはいえ、主観的すぎる意見は、客観的なデータ(ここではバスの食害データとか個体数とか)の都合の良い部分だけを取って自分にとって都合のいい意見にしようとする。
結果、その意見が広まった時、その都合のいい意見は、データの整合性など無視されて都合のいい時に、都合のいいように使用されてしまう。

 
客観的なデータを使うことも大事だが、一度バスから離れて、より俯瞰で見てみることはできないか。
 
というわけで、今回は「バスフィッシングを否定する」ところからはじめます。
明日から友達いなくなっちゃったらどうしよう。

バスフィッシングを否定する

バスフィッシングは、魚を釣ってリリースする、いわゆる「キャッチアンドリリース」によって行われる。

小さいバスが釣れたら「おっきくなったらまた遊んでね」
おっきいバスが釣れたら写真を撮って、やっぱり「また遊んでね」とリリース。
 
なんで逃がすの?と聞かれたら、「スポーツフィッシングですから」と答える人もいる。
数十年前の昔の雑誌をめくると、リリースすることで魚が減らずに種が残り、素晴らしいフィールドが生まれる…みたいなことも書いてあった。
 
釣ってから逃がすまでがルーティンの、システム化されたキャッチアンドリリース。それがバス釣り。
 
いやいや、ちょっと違う。

 
それはかっこつけ過ぎだろう。
ヤマメやアマゴのキャッチアンドリリースとバスのそれは違う。
 
バサーの本音はこうだ。
 
早い話が「ブラックバスには有用性がない」のだ。

すなわち、釣ったあとの使い道がない。

 
食ってもまずい(調理の仕方によってはなんてエクスキューズが必要な段階でもうダメ)、調理が面倒、そもそも寄生虫が潜んでいる可能性がある。
 
仮に食える魚だとして、堤防釣りのように一箇所で止まってるならまだしも、ポイントからポイントに渡り歩く際、重いクーラー持って行くようなら大変すぎる。
 
釣り人にとって、釣った瞬間から価値がなくなる。
だから逃がす。
これが本音だ。
だから、キャッチアンドイートしかしない人には興味の無い魚になるし、「なんで逃がすの?」って聞かれてしまう。

「他の魚食べるんでしょ?持って帰って食べればいいじゃない」

ごもっともな意見である。
そのごもっともな意見を変に美的な意見で返答したり、妙な理屈つけるから変になる。


バサーもキレ気味に
「んなこと言ったって不味いんすよ!」
って言えばいいんだ。

さて、仮定の話をしよう。

もしも、ブラックバスが美味しかったら?

ブラックバスが美味しかったら、果たしてどうなるのだろう。
身はさっぱり白身、脂がのってとても美味しい。コリコリした食感はまさに鯛。寄生虫の心配も無いから刺身でも食べられる!これがまた絶品!川魚独特のドロ臭さもなければ、青臭さもない!こ、これは淡水魚の宝石箱やぁぁぁ!

バスがそんな存在だったどうでしょう?

持って帰りますよね?食べますよね?
今はすでにリリースという概念が組み込まれてるかも知れませんが、そもそも釣りをはじめた際に美味しいと知らされてたら間違いなく持って帰って食べますよね?
その結果、乱獲になって資源が減って、その時はじめてヤマメやアマゴのようにキャッチアンドリリースの概念が生まれたことでしょう。

 

もしも、ブラックバスが高級魚だったら?

上記のようにむちゃくちゃ美味しい!となると市場価値が生まれる。
もし、市場で高値で取引される高級魚だったら?

市場に持ち込めば1匹数千円で買い取ってくれ、料亭では1万円の料理が出てくる。
滋養強壮によく、土曜丑の日は、いつの間にか主役がウナギから3000円のバス丼に代わっている。
そんな世の中だったら?

そんな経済魚、漁師のみなさんが黙ってません。
だって捕ったら高く売れるんだもん!鮎とかどうでもいいわ!バス獲るわ!
みんながみんな池にやってくる。大きい池、小さい池、どんな場所でも池単位に漁業組合が出来る。
萩尾溜池漁業組合、江津湖漁業組合…どこそこの野池漁業組合…、どこそのこ神社の裏の用水路漁業組合…。
みんなバスを獲って売って大もうけ。
漁業組合が出来るということは、資源を管理する義務ができるので、魚種認定をして稚魚を育て放流します。
バサーは漁業組合から鑑札を買って、その池で放流されて大繁殖したバスをみんなで楽しく釣りましたとさ。

「あのぉ…バスって他の魚食べるんですけど…生態系崩れまくりじゃないですか…」
そんな声も出るには出るが、世の中なんでも経済活動が優先される時代だ。
アユとかヤマメはそこにいた数とか無視して放流するんでしょ?
ヤマメなんて、もともとそこにいた固有遺伝子とか無視して、他から持ってきたやつを放流するから、遺伝子レベルでの生態系は崩れちゃってるでしょ?
「生物多様性」は語られるけど、「遺伝的多様性」はなかなか語られない。

でも、人間の経済活動が優先だからそれでいいのだ。みんなそれで納得している。





そう、結局はバスが不味いのが問題なのだ。
バスが美味ければ、有用性の高い魚として、みんな持って帰って食べて喜ばれて、みんなハッピーだったのだ。

不味いのだ!
調理がめんどくさいのだ!皮の裏が臭いのだ!
そう、オマエ(バス)が不味いのが悪い!
もうちょっと美味くなれよ!努力しろよ!寄生虫とか気合いでどうにかならんのか!

オマエさえ美味ければ、みんな万々歳だったんだよ!


まあ、獲って美味しい魚だったら、プロトーナメントとかまったく別な形になってたでしょうけどね。
釣りビジョンさんの番組も違ってたでしょうね。
釣りビジョン「村田満、必殺鋭角釣法!鮎でバスを釣る」とか…




さて、話を戻そう。

とにもかくにも釣ること以外に有用性がない、これが全ての始まりだ。
釣り味はとても楽しい。
でも、釣った後が困る。
だから逃がす。

有用性がないから、元からそういう風になっている。釣りをはじめた子たちも、キャッチアンドリリースの中に組み込まれていく。
「え?釣ったあと食べないの?」といった意識の中ではじめた大人も、自然とキャッチアンドリリースのシステムの中に組み込まれていく。

そして全てのバサーはなんだかんだとキャッチアンドリリースの正当性を述べる。
「不味くて食えない」をオブラートに包んで。

 

バサーの免罪符


ゴミ問題、マナーの問題。
外来魚問題が火急の問題である今、この問題を持ち出すのはちょっと違うのだが、バサー自身がこれを同列だと勘違いしていた時期がある。
「バスが害魚」だと言われはじめた頃、すなわち「その2」で書いたように、バスがブームとなり、世論がバスを非難し始めた頃。ネット上でこういった意見を見かけることが多かった。

「バスが害魚と言われてしまうのは、釣り人が捨てるゴミが多くて、釣り人のモラルが問われているんだ。ゴミを拾って近くの人たちの心証をよくしよう」

みたいな感じ。

外来生物法が制定されるまだ前の時代だ。ブラックバスとバス釣りに対する風当たりをマナーアップで回避しようとした時代。
そして、それが同列であるものとみんなが錯覚していたように思う。
(注:私が所属している熊本ネットバサーズでは、大会終了後にゴミ拾いを行い、外来生物法にのっとった大会を行っています)

外来生物に対する問題が出てきても、掲示板などでよく見たのは「バサーはちゃんとゴミを拾ったり、自然をちゃんと理解しています。バスだけが悪者になるのはおかしい!」

言ってることは理解できる。でも何かおかしい。

それ、外来生物の影響についてなにか説明してる?

ゴミを拾うことでの免罪符が、いつのまにか外来生物の議論の中で見かけた。
ゴミや釣り人のマナーが悪くて釣り禁止になった池と、外来魚問題で禁止になろうとしているの湖は同じではない。
マナーアップと外来生物問題はまったく別物だ。

確かにバサーはブラックバスという魚をよく理解している。季節における食性の変化や行動パターン、それらが科学的に解析され、パズルのように様々な引き出しとメソッドからバスを釣る。

釣りをする際には、ベイトを意識して考える。いまバスは何を食べているのかを考える。
バスは繊細だが、時に貪欲にベイトを追うことを知っている。

にも関わらず、外来生物の議論になると「バスだけが魚を食べているわけではない!」

確かに正解だ。コイだって金魚だってグッピーだって、自分の口に入るサイズならどんなものだって食べる。

しかし、フィッシュイーターとしてのバスの食害に答えるには余りにも稚拙で浅い。

固有種(いつからが固有種なの?という問題もあるがそれはさておき)ではなく、途中から入ってきたブラックバス。しかもフィッシュイーター。
日本でも(固有種ではないが特定外来生物ではないという意味で)ライギョ、ナマズ等がもともといたが、俊敏で獰猛なブラックバスはその環境の頂点に立つのは当然だ。
その環境下のピラミッドの頂点にいるのならば、影響はゼロではない。

そう、ゼロではないのだ。

「ブラックバスだけが悪いわけじゃない」とは言っても、もともといた魚は食べられるのは事実だ。

「いや、他の魚が減ったのは護岸や水質悪化が原因だ」
これも正論だ。全ては釣りよりも生物よりも経済活動(暮らし)が優先される。護岸や農薬もしょうがない。
それによってタガメやゲンゴロウがいなくなったのはしょうがない。
しかし、ブラックバスの食害の否定にはなってない。

「ブラックバスを駆除する?小さい子どもたちにバスを殺せと教えるのか?ただ殺せというのか!」
私が「その1」で書いた主張だ。
その通り。私はただ生物をわけもなく殺すことを絶対に教えたくはない。
しかし、ブラックバスの食害の否定にはなってない。

「ブラックバスを駆除したところでさ、全部駆除できるわけないじゃん!全部を駆除できたところなんて何処にもない!税金の無駄!」
そう、どこを探してもバスを根絶させた実績はない。どうやったって僅かな個体は生き残り、いずれまた増えていくだろう。
いたちごっこである。
しかし、食害があって、そこに経済的有用魚(獲ると儲かる魚)がいるのなら、それもまた一つの方法だろう。
ただでさえ、和食を世界に発信している時代だ。日本伝統の料理が残るのならそれも正しい。
しかも、ブラックバスの食害を肯定してしまっているではないか。

「ブラックバスを釣る人による経済効果。多くの人が来て地域にお金を落とす。なんなら入漁料をとってもいいのではないか」
河口湖など、または九州では芹川ダムもそうだが、お金で成功、あるいは解決したところもある。地元にお金が入るのが一番だ。しかし周囲4kmほどの江津湖でそんな経済効果が生まれるだろうか?
これが1日数百万単位の収入があるのなら別だろう。全ての食害とか吹っ飛んで、そこに雇用が生まれ文化が生まれる。
しかし、もともとここは市民の憩いの場である。熊本動植物園だって隣だ。多くの人が来ている。数十名〜100名ほどのバサーが来ないとして何の影響があるのだろうか。





書いてて、今日の内容は他のみんなにどう思われるのか心配になってきた…


でも、これらの答えは今までの各地で行われてきたパブリックコメントで否定されてきた内容ばかりである。
今回の条例案の争点はバサーのマナーでもなければ、釣り人の締め出しでもない。
特定外来生物による環境保全が争点だ。

確かに、江津湖は「湖」と名がつくが、加勢川の河川の一部である「河川膨張湖」だ。
もともと、川と湿地帯だったところに、加藤清正が江津塘を作り、水をせき止めて出来たのが江津湖。すなわち人造湖だ。
川と江津湖は繋がっており、加勢川、木山川、矢形川、秋津川、そして緑川とも接続されている。
バスは他の川でも釣れている状況のなかで、江津湖という「川の一部」のみがリリース禁止になることになんの意味があるのか?

私だってそう思う。上記をそのまま書きたいぐらいだ。
しかし、これだって食害の否定にはならない。駆除の有効性に疑問はあるが、「じゃ、熊本県にかけあって全域リリ禁も検討しましょっか」の可能性も否定できない。


バスは魚を食べる。
それは間違いない。
水質汚染や護岸が在来種を減らした。
これも事実だ。
しかし、バスは魚を食べる。



バスとバサーを否定するところから今回は話を進めてみた。

しかし、思いは一つだ。「私たちはずっと江津湖で釣りがしたい」

キャッチアンドリリースがシステム化されたバス釣りにおいて、リリース禁止は実質釣り禁止を意味する。
どんな意見を持っている人も、すべての思いは「江津湖で釣りがしたい」で一致する。



ブラックバス害魚論の中核は「有用性がないこと」なのだと書いた。

バスは魚を食う悪い奴だ!と主張する人が、バスを釣った人を見たらこう言うだろう
「釣ったのなら持ち帰れよ。逃がすなよ!他の魚食べてしまうから!」

(その2で語った“世論”という意味での)一般の人から見たら、まさしくこれは正論だろう。
そしてこう言うだろう。
「そうよね、他の魚食べるんだもん。逃がしちゃダメよね」

もし、私がバス釣りに興味がなかったら、やはりそう思ったことだろう。

そして、ちょっと前までの私だったら、前述のようなバスをかばう発言をしたと思う。
「いや、バスだけが悪いわけじゃなくてですね…」とか「水質がなんちゃら…」とか。



しかし、今日まで3回。記事を書いてきた中で、出てきた一つの答えがある。
リリース禁止になっていない現状、今の私だったら迷わずこう言える。

「釣ったのはオレだ!オレが釣った魚をどうしようが、それはオレの勝手だ!」


私自身のパブリックコメントの答えもようやく出てきた。



そう、私たちには権利がある。
バスを釣る権利がある。
釣ったバスをどうするか、法令に抵触しない限り、それは釣った私が決める権利がある。

議員には法案を提出する権利がある。
駆除する人には駆除をする権利がある。
私たちにはそれを反対する権利がある。





乱暴な意見だが、バスは魚を食う。
多かれ少なかれ生物相に影響を与える。
それは間違いない。

だが、私にはブラックバスを釣る権利がある。
今までバスを否定してきて、急に権利持ち出してコイツ何?みたいな感じでしょうが、それは次回ご説明。


次回(たぶん最終回)は「権利」について。



 
コメント

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江津湖の環境について市ではまとめているようです。
琵琶湖も買い取り制をやめた途端バザーの持ち込みが半減してるようですね。
結局、利用価値がないからみんなリリースしてるのかもしれません。

  • 近隣住民
  • 2014/07/17 12:29

ありがとうございます。
私たち(釣り人から)みると、釣り魚としては最高の価値があります。
しかし、世間一般からすると有用性がない。釣り人としても釣ったあとの有用性がない。
肥料にするにしても手間がかかるし、いろいろと問題がある。
雑誌やメディアによって知識を得てきましたが、その中で美化されてきた表現を私たちバサーがそのまま鵜呑みにして、それで理論武装してきたことも事実です。
今回はあえてそういう美化された部分を取っ払ってみました。
次に書く予定なのですが、結局その有用性のなさをそれぞれが押しつけている図式になっていることが、今回の問題の根深さだと感じています。

  • りまるおん
  • 2014/07/17 14:39

異文化には異文化にしか無い魅力が在ることを否定はしません。ですが、斯して日本人として生を受けた私達は祖先様が必死に護り抜いてこられた美しい国を護り抜いて行かなければならぬと感じます。
私もバス釣りは大変面白いと思いました。
しかし、この魚は日本に居てはいけないのです。

  • 熊さん
  • 2015/05/15 07:30

生物多様性は尊重しますし、日本古来のものを大切にしなければいけないということについては大いに賛同します。
では、このブラックバスに限らない外来種問題において、いったい「いつの」「どこまでの」時代に遡って在来種というものを指すのか、という問題は常にあります。
そしてそれは魚、植物、樹木、生物等全ての種の分野においてそれぞれが曖昧な基準と世論の空気、そして経済的物差しの中で常に揺れ動いています。

ここに書いているようにバスが有用な魚であれば、ニジマスや(在来ではないものを放流して活用する)ワカサギと同じような扱いにあるかもしれません。キウイやレモンなどの外来農産物と同じように管理されていくかもしれません。
花が綺麗だからと庭でオオキンケイギク栽培されている人、「世話しないなら逃がしなさい!」と外来のカブトムシを逃がしてしまう母親。魚が釣れればいいからと他の河川のイワナやヤマメを放流し、そこにいた遺伝的多様性を侵害する漁協。
生物多様性や遺伝的多様性を語るのなら、世論のあやふやな意識をブラックバスのみに向けさせ、スケープゴートにするのではなく、もっと総体的な考え方が必要であると思うし、そして経済的側面と環境的影響の両方のバランスをとるのならそれでもいいと思うのです。

もちろん、駆除により環境をコントロール、または駆除により根絶を目指すという考えに全面的に否定するつもりもありません。その場合は、どう駆除するのか、そこに定着している生態系と生態系ピラミッドのバランスを崩すことなく行う必要があるとも考えます。

  • りまるおん
  • 2015/05/15 13:20

YouTubeで健啖隊を見られてはどうですか!?

  • 市民
  • 2016/11/15 06:25